2018年1月23日火曜日

有限の中の無限/アトランティス人類とレムリア自然界

アイオライト・スフィア Lumiere でup準備中

雪、見事に降りましたね。清々しく清められていく世界に、今日は一日中何度も、夜明け前から、昼間も夕方も、外を眺めていました。




昨日降り出した時は綿状に固まったふわふわの雪が、真っ白い「無」という感じの空から湧き出すように現れては無数に降りてくるという、子供の頃に新潟ではよく見ていた光景・・その真っ白の無からさらに白い子供たちが無数に生まれて降り注いで来る様子に、よく通学路で足を止めて、真上を見上げていたっけ・・と、懐かしさで思わずベランダでそれをやっていて、気付いたら濡れていました(笑)

今朝はまだ早い朝焼けの頃から、カメラを持って出てみたら、空気の冷たいこと!冷蔵庫の中のようでした。あの冷え具合は新潟でも・・体験したことのないくらいの。新潟はそうですね、特に私の実家のあった海岸沿いは、気温自体はそれほど、下がらなかったのかもしれません。今日はびっくりしました。
実は8年振りに、まともな風邪を引きました・・それにも自分でびっくり!でも、いろいろと辿っていくうちに、メカニズムもわかり。今日はその話をしようかと思います。また長くなりそうです。

カレッジ5期卒業式の記事を先日、書きましたが、何となくあの日、身体がすでにどこかおかしかったんですよね。ただ毎年そうですが、卒業式は事前に準備するものが多くて、当日は多少フィジカルな疲労感があったり、普段のクラスと違って全員で集まるので、お話の場や瞑想ワークの時間に全体のエネルギーをハーモナイズするのにややエネルギーを消費したりもする。それも例年のことで・・

ただ、もともと私が年始から、前記事でも触れていたような今年と今後7年の人類全体のテーマのようなもののエネルギーに、自らジェネシス魂(?)でわざわざ触れに行ってしまっていたので、それを抱えての卒業式。その場で少し話してもいたのですが・・結局、エネルギーレベルで規模の大きいものを取り扱ってしまっていたので、当日卒業生の皆さんにもそれを匂わせる意味深な話をしていましたし、翌日になると、なんとなんとまさかの本格的不調が。

8年振りに・・というのは、風邪様の症状が1つだけ(咳だけ、鼻水だけ、頭痛だけなど)その時のテーマやエネルギーの移行期などに現れることならば、年に1度くらいはあるのですが、もうこれはどうにもこうにも全部来てますね、という、寝込む必要のあるレベルの風邪というのは、遡ると、娘が低学年の時に新型インフルを貰った8年前。その時でさえ、「うそ、私もう風邪ひかない宣言していたのに」と騒いでいたくらいで、確か3〜4年振りくらいだったのです・・

年明けにざわついていた集合エネルギーを辿っているうちに、自分から遠からずのアンドロソウル、中でも特にアルクアンドロ天使つまりアルガンザのジェネシスでいうアークエンジェルに変容していったソウル達やその周辺の自然界・精霊界の関連であると分かりました。これまでも幾重にも、アンドロセラフ系統の落ちてしまったソウルたちの記憶(落ちている=人間に転生している)の癒しが、グループごとに起きていく波に、関わることがありましたが・・

今回はどうもセラフ系統にとどまらず、精霊界など元素レベルの領域にもかかっている。なかなか、糸口を見つけられないなあと数日にわたってワークをしているうちに、『高次自然界(つまりレムリア)』の中枢であるネットワークのマトリックスとしての(アルガンザでいう)『ソフィア』の、2度目の崩壊時の記憶、破壊した人類側にサイバー攻撃を多方面から仕掛けられて包囲され、動きを止められ、遂には(エネルギー的に)その世界が「炎上」していく、事象そのものに自分がなってしまったような状態でした。

卒業式当日も「大変なことが起きています」と謎の発言を残していたのですが(笑)翌日からは風邪症状の実際と共に、今更ですが(本当に。もう個人レベルでは何度もやって来ているのだけど)「壊される、包囲される、調和のマトリックスなのに人類はそれぞれ利己的理由でもっともらしく正義だと思って複数のグループが一斉に攻撃してくる、こちらはただ愛であろうとしているだけなのに・それを維持しようとしているだけなのに・・という具合に、ソフィアそのものに自分が役作りして、半日くらいは泣きながら瞑想をしている状態。

数日を経て、ある日の暗転、絶望というか・・ただ真っ暗な、無の境地。その中で、お正月頃からシャンバラのマスター界から受け取っていたことや、ウラルレムリアンたちを通じて感じていた情報などがさらに繋がって行きました。

小さなものは、より大きなものへ還って行くのが宇宙の摂理。
自我を持ち続けることが人類の存在意義なのではなく、自我を持たされた人類が自然回帰できるかが試されているのが地球プロジェクトなのだと思っている。

昨日インスタグラムに書いたものの一部です。
この時、つまりアトランティスで人類が自我を発展させていき、人類の親であるマスター界がその自由意志を尊重することに徹した結果、同・マスター界が手塩にかけて作り上げてきた、そして天使界・精霊界が永遠のような時をかけて育て維持し続けてきた調和の世界とそのエネルギー秩序が崩壊する・・自分にとっては、やや衝撃だったのですが、お正月に受け取っていた内容というのは、

その時の構図「人類・自然界」「アトランティス・レムリア」がそのまま、今現在のメタフィジカルな世界の構図になっているという。「今」というよりも大きなスパンだと思いますが・・多くの声が「人が幸せに生きるためのスピリチュアル」を唱え続けているのは、アトランティスでソフィアの調和的世界を崩壊させた人々が唱えた「人間は自分の自我で道を選択して生きるべき」の「正義の」プロパガンダの、やり直しであるということ。

一方で当時のソフィア側は、個々の自我を喜ばせる目的ではない、全体性・真のワンネスに通じるためには世界意識や平和への意図を持って特に自然と調和する生き方や自己をより純化していくというメッセージを発する。各自、無自覚ながらもその時の自身のこだわりを携え、今のニューエイジ思想の中で再び、同じように拮抗しているのだという。

それぞれのこだわり、スタンスがその頃のカルマから来ているのだということを、各自が十分に理解し、噛み締めて、今生なりのあり方を実現させていくということなのでしょう。まだまだ利己のためのスピリチュアルへ鼓舞する力が強いように感じて来ましたが、このようなソウル達のカルマをそのまま、焼き直したのが現状であると整理された時は、思わず口がしばらくポカンとあいてしまう気分でした。(これはお正月のこと)

そこから、私は自分にアトランティスの経験がまるでないようだとヒーリング人生13年の間、ずっと言って来たように、もちろん自然界・レムリア・ソフィアに全面的に同調してしまうわけで、「ソフィア」という母体そのものに役作りして泣いている始末。卒業式あたりは実は内面はこの状態でした(笑)。

が、体調が崩れてくると、ただ浸っていればいいという訳には行かず。向き合う必要が出てきました。そこで巡って来たのが(相変わらずの高次の采配)「レムリアン・セイクレッド・レイキ」のセッション。私と、ソウルが近いそのセッション受け手の方と、互いにセイクレッド・レイキ以外のエネルギーで当たってしまいました。然し乍ら、そこからまた見えてきたことがあった。。。

最後の砦
『高次自然界』『レムリア』・・ここは、人として生きる魂は、誰にとっても、関わりが無いということも無いのだろうと思います。ジェネシスの概念では、幼少期や家族と共有する問題と、関係していることが多い。インナーチャイルド。個人レベルではもちろん、そうです。

私の場合、最初に自己ヒーリングを初めた10年以上前、すぐに(今思えば)ジェネシス層のものが出てきていました。そして数年かけて癒し解放し統合し・・・ヒーラーとして多くのクライアントさんとも、そういった性質のものに向き合い、癒しのお手伝いをし、またカレッジを通じても。そしてアースワーク・・というよりガイアワーク。ジェネシスとしての集大成となり。

自分のソウルとして区切りがついて、それでもたまに必要とあらば続くグループの癒しが起きるのを無意識レベルで手伝っていると感じることも多々ありました。・・が、この年末年始の場合、呼ばれてもいないのに自ら潜水していったような感じでした。そして自ら同調し、ソフィアとその世界たちの嘆きを被った。。辛さから、シャンバラに助けを求めて、結果、情報を受け取ることにもなったけれど。。意味はあった、けれど、もうこれは「必然であった」とは、無理くりだとしても言葉として出てこない。

そうしたらふと、わかった瞬間があったのです。

『精霊界』『堕ちた天使たち』『高次自然界』『レムリア』・・・すべての人とは言いませんが、特に自然界のこだわりをソウルが刻んでいる人にとって、ソウル(魂)レベルのインナーチャイルドの原郷として、楽園として、いつまでも『レムリア』があるのではないかと。自分に起きていたのは、統合されたソウルから、去年これから主導権をとることになると分かっていた筈のスピリットへの移行が、ソウルなりに進化を拒む無意識の抵抗を起こして、古い懐かしい集合意識で繋がる、未だ癒されていない他のグループたちの面倒を見るために、あえてそこに降りて同調しようとするという、逆行するベクトル。

「エゴの抵抗」とよく言いますが、いわば「ソウルの抵抗」・・(笑)

シャドウセルフが、パーソナリティに統合されたくなくて騒ぐように、ソウルなりに、スピリットに主導権を渡すとなると騒ぐものなのかもしれない。下にあるものは、上にも。ブッディ(オーラ5層)とメンタルをうまく合わせていくことは、それほど難しくなく、女性原理で女神意識や創造性などをパーソナリティ領域で連動させることは、ヒーラーを続けていると比較的うまく統合が進むのでしょう。けれど、

アートマに持ち上げる時、ソウルは父なるもの・上に立つものに巻かれることを恐れるように、居心地の良いブッディの記憶の中へ・・5次元意識の調和世界、ソフィアの問題に触れ続けていたかったのかもしれません。実際的には、自然界が強いソウル達は、癒しの半ばで絡め取られて再び堕ちていくことを選ぶことも少なくない。だから尚更に、自分が思っていた以上に、零れ落ちていったものたちを気にかけていた、そこがソウルの進化への抵抗と結びついていたのだろうと。

ただもうそれでは噛み合わない。システムが作り変わる時、それでは何をどうするべきだと、私は言われているのだろう。(ここでいう「私」とはパーソナリティとソウルが融けあったもののこと)

こだわりたくて仕方ない「高次自然界」・・サロンのテーマをここから逸らしていくとは考えられない。ソウルのアイデンティティ。けれど、ちょうどリニューアルし、様々を作り変えている時。検討していた「レムリアンセイクレッドレイキ」の改定を通じて、レムリアや自然界の調和意識とエネルギー秩序の真髄を全てここに凝縮し、もっとわかりやすい、シンボルで稼働し、多くの人に「これがレムリア」という癒しの体験を高い周波数で体験してもらうばかりでなく、これまでもそうでしたが、「レムリア意識」が拓けることで、直観が磨かれていくというこれからの人類に重要なポイントもさらに、テーマとして発信できるようにして・・・

と、過日「空から降ってきたインスピレーション」と書いていた内容から、さらに具体的にイメージと、モチベーション・熱のようなものが今回、入りました。

そんな展開で力んでいると、週末のセイキムセミナー1日目で、高次自然界にいつも反応する気管支を中心に体調が悪化、帰宅すると38度を超えていました(笑)が、セイキムの光を信じて二日目、心配せずに臨むと、なにしろ私が自分のアートマ原理として呼び出していたのは、セイキムにも含まれている(とアルガンザでは考える)アルクトゥルスの青い光線とそのハイテクノロジー。セイキムと響き合わない筈はなく、2日目のセミナーを無事に終えた時には、体調もすっかり良くなっていました。ミラクル。

このセイキム2日目は誕生日でもあったのですが、朝から多くの気づきがあり、またこの日だけポカポカ暖かく、祝福を感じました。セイキムの光の中で生徒さんたちと共に自分も刷新・再生される感覚があり・・その気づきの深さというか、大きさから言うと、最高の誕生日でした。去年を通して上空に感じていた小さなセラフたちの渦のような集合体は、すでに自分の身体の中、ソウルの中に。

この一週間のドタバタで、体調が苦しく追い詰められたお陰もあり、しばらく存在を忘れていた古いサポートエナジーであったアルクトゥルスの青い光が、超高性能ヴァージョンで戻ってきて、体の中で閃光したり、美しい和音で頭の中で響いたり。自分にあまりにも効いたので、ハイウェア、そしてクリスタルのチャージに使うことにします。

自分は新たな段を登ることで、初めて、今まで居た段へと人々を導ける・・・と、確か去年は書いていたっけ。そのほか、せっかくアシュタールに点火してもらったアルクトゥルスを使うより、いつまでもアンドロで居ようとしていたのは、地球の歴史の中で自分がこだわりたいところに、アンドロの記憶が深く深く、根ざしていたから。

レムリアンセイクレッドレイキを、予定通り今年中にリニューアルし、そのワークの中にこそ、調和の時代へのノスタルジーとそれをこれからのために活用する知恵を、込めることが出来るように・・ガイドたちとともに、これから着手します。一方でサロンの運営にはもっと使いなさいと何度も言われているアルクトゥルスを、反映させていく。

自我を持ち続けることが人類の存在意義なのではなく、
自我を持たされた人類が自然回帰できるかが試されている

ペタライトは「天使の石」Lumiere でUP済み
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『有限の中の無限』

つくづく思うのです。無限性そのものに意識を向ける人が多い。エネルギーワークに携わったら、何か魔法のように全てが繰り出されていくとか、石に囲まれてただ光でありたいとか、自分の望むペースで好きなようにメタフィジをやっていたいとか。・・・けれど、きっと人間は、そのような無限の設定の中では、本当の無限、自由、ただ光としてあるという境地には、辿りつかない。有限の囲いの中で、その世界や自己に向きあうからこそ、自分が光になれるかもしれないし、無限とは何かを悟れるのだと思う。

それは単に「グラウンディングしましょう」ということでもなく。一巡する日常の仕組み全てを、宇宙の法則にすること。それは息をつく暇もない不自由さのように、多分、エゴセルフは捉えるのかもしれません。が、そのステージに上がってみないことには、ホンモノになることはない。中途半端に、たまに五次元だけど都合よく三次元・・では、逃げ道、抜け穴があっては、メタフィジカルを知らないで生きていた時と、自分の仕組みはあまり変わっていないはず。ただ知識が、趣味が、幾らか増えているというだけ。

生き方を変えたいのならば、本当に変えないと、変わらないのです。

Love and Grace
Amari