2017年11月19日日曜日

センタリングの力/ヒーロー&ヒロインの法則


シチリア島サルファー結晶

2013年だったかと思います。秋のミュンヘンショー由来品として出会ったイタリア、シチリア島サルファーの結晶原石。サルファーは硫黄そのもの。綺麗なクラスターやラフな原石、水晶にちらっと混じったレモン色のクオーツもありますが、このように単結晶で、だいたい4cm四方のサイズの美しい原石というのは独特。そのまま標本として大切にしたい風情の中、たくさんある中から大きく美しいものを選び、リュミエールにも出していました。

ひとつをサロンのロフトに置いていたら、2015年だったか、当時のブログにも書きましたが、やや大きな地震(震度4くらい)があった翌日にサロンに行ったら、棚の上から落ちて、粉々になっていました。そうそう、サルファーは柔らかいので。。

砕けてもなお美しく、エネルギーも高い石なので、そのまま大事に置いてありますが・・この単結晶の様子が特別なものだから、またいつか仲間たちを迎えようと思いつつも、仕入れに出向くと少しずつ減っていくのをいつも見つめていました。先日、取引先の業者さんへ行って、アイコンタクトした時には迷いなく、それも最後に残っていた2つを一緒に迎えることに。

以前、リュミエールに出したりサロンにあったものと比べると、やはりサイズが小さい。けれど、リュミエールでご紹介した幾つかもご縁の深い方たちのところへ行き、サロンで割れてしまったひとつとの繋がりも感じながら、4年経ってもなお残ってくれていた二つを感謝とともに、私物として迎えました。

2013年当時、確かちょうど地中海のマーラ(マリアエネルギーの源泉がレムリアに降下し、地球物質界にもたらされたもの。多くは海に眠っている・・アルガンザの『レムリアントランスミッション』ページ参照下さい)の痕跡についてワークするようなことがあり、出会ったのも偶然ではないタイミングだったと感じています。今はもうシチリアでも採れない、オールドストックとのことでした。ミュンヘンショーならではかもしれません。

ヒマラヤのアースシードライトや、マスターウラルTMも、2015〜16年の石巫女で、それぞれヒマラヤ、ウラルのワークをした直後に日本に入ったというご縁。パタゴニアのクオーツもそうでした。アルガンザのアースワークは常に、本当に有難いことに、鉱物界と、背景にあって自然界をも司る地球のマスター界、そして地上で石たちを「発見」し「見出し」「運んで」来てくださる方々、もちろんお客様がたとも、常にシンクロして事が運んでいきます。

この結晶たちと出会った印象深いミュンヘン仕入れ、ちょうどカレッジが始まっていて、一期生の皆さんと入荷した石たちを眺めていた4年前や、サルファーがロフトで割れた2年前・・カレッジ2期を終えて夏に確か、「ヒーラー仕事をする上でアストラルからメンタルへの移行」を決意し、それにより起きた出来事など、いくつかの場面を思い出しながら、このサルファーたちを眺めていました。




そうそう。トップに載せた写真は、メテオライトのプレートの上に乗せていますが、互いに細粒のような高周波を出すので、上に乗せたらばシナジー効果で余計に高まって、「すごいすごい」と喜んで数日、このまま置いていました。そしたら、先日サルファーをどかしてみたら、メテオライトに変化が起きていて・・・硫黄の成分が、鉄分と反応したようで、ピッカピカの美しいメテオライトの表面が白く濁った感じに。

「きゃー!!」と慌てて、閃いたままに「アレッポの石鹸」(大好き)で表面をこすったら、硫黄の影響はきれいに消えました。むしろ全体が前よりもピカピカに(笑)。良かった・・・・・でも気をつけよう。鉱物はそれぞれ成分を持っているということ、忘れてはいけませんね。。。メテオライトも鉄なので、濡れたままにしておくとサビが出るそうです。私はプレートとリング2つを愛用しています。普通にしていれば大丈夫ですし、濡れてもちゃんと拭けば(コーティング処理はされているので)差し支えないですが、コーティングなしのアイテムや、濡れっぱなしの状況は気をつけてください。

そう。そして割れやすい石は、万が一地震が来ても、落ちないところがいいですね。今度のサルファーたちは、気をつけなくちゃ。

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さて、サルファーと、アイアンメテオライトというと、私の中でテーマは「センタリング」です。揺れない、ぶれない自分軸。今の世の中で、何があっても、周りで何が起きても、ずっとぶれない・ずれない軸を持ち続けている人は、たぶんとても少数派だと思います。頑固、とは意味が違います・・(笑)・・そういうレベル、つまり感情や思考の問題ではなく、エネルギーや、思考よりも深い魂と連動したアイデンティティのようなもの。

そういう意味で「ずれない・ぶれない」人は、映画や物語のヒーローやヒロインになっていますから、やはり特別な人として、取り上げられているくらい、希少だし、本当はみんながその生き方を美しいと思っている、でも出来ないと思っているから、特別な人=英雄として、主人公になるのだと思います。


はい。こちらは「はいからさん」で著名な大和和紀さんの最新作『イシュタルの娘』です。ちょうど16巻が出たところで完結し、我が家でも読み終えたところ。私は同先生の作品は、高校時代に読んだ『あさきゆめみし』に続いて。。という感じで、他は、たぶん子供のころに読んだと思うのですが、『はいからさん』『ヨコハマ物語』など・・それらは余り、覚えていないのです。が、『あさきゆめみし』以来、久しぶりに読みふけりましたね、この作品。

「母が娘に教えたい昭和の日本が誇る少女マンガ」シリーズが我が家にはありまして(笑)『メイミーエンジェル』『あさきゆめみし』が特におすすめなのですが、なぜか突然に去年、「Amazonの天使」が「あなたにおすすめ」でこの『イシュタル』を提示してきました。当時ちょうど、理由は忘れたけれど戦国から江戸への切り替わり、のようなテーマを思考していたところだったので、ふむふむと思って娘と一緒に読むことに。

戦国時代の豪華な顔ぶれと、大河ドラマ等でおなじみの主だったエピソードが、小野於通(おののおつう)というヒロインの視点を通して展開されるので、そのあたりの歴史が好きな方にはなおさら面白いであろう・・信長、秀吉、家康から家光や春日局、その時代に出てくる有名人、浅野三姉妹や細川ガラシャ、おね・秀吉の妻妾たち、真田兄弟、利休や出雲阿国などなど、オールスターです。

幼いころの信長との関わりや、秀吉と淀の治世から大阪落城まで、そして江戸の始まりや家康・秀忠・家光の徳川三代までの変遷、同じく京都の天皇家・公家がたとの絡みも描かれていて、物語としても非常に面白いですし、源氏物語を扱った『あさきゆめみし』もそうでしたが、スピリチュアリティ、サイキックなエピソードや人物も登場するので、勉強になる・・・ことも。ヒロインの「お通(つう)」さんがそもそも、オーラや人の未来や霊的なエネルギーの流れを感じる人なのです。印象深かったエピソードは、

お通さんの大事な人である公卿の近衛信尹が秀吉に恨まれ、秀吉だけに生き霊が強くて倒れこむ場面があったり、秀吉の後継者である秀次が悪霊に取り憑かれて堕ちていくエピソードなど、この分野を深く知っていないと書けないようなリアルさを感じ、またその場その場でヒロインのお通さんがどう立ち回るか、そしていつもお通さんを助けている謎の反物質?な聖者というか、、性別年齢不詳の(たぶん)高次存在が物質化した方が居るのですが、その方が陰陽師のようにそれらの霊障にあたる様子なども、勉強に(?)なりました。

戦国の大変な時代の激流の中、そういったオドロオドロしい場面に汚されることもなく、どこまでも凛と強く潔く、そして当時には異例の「書家」という才能だけで時代のハイソな人々に「師」として迎えられ敬愛され、重用されて、時に権力者たちに影響さえ与えながら、激動の時代を生き抜いていくという、まさに単に主人公ではなく、英雄的ヒロインとして描かれている。

そしてこの揺るぎない女神的原型を持ったとも言えるキャラクターゆえに、『イシュタルの娘』なのだと思いますが、15年前に書いたAmari 拙作『ハピの巫女姫』の主人公であるセイレンと、とても似たものを感じました。というより、こういう状況ならばどうする、という思考回路や行動のパターンなどが、ほとんど同じと言ってもいいかも。

「恐れではなく愛」で、選択をする。とか、ハイヤーセルフつまり女神が懸かると怖いものなしで、男性性が繰り出す暴力性や時代の残酷さなどにも果敢に飛び込んでいく。そして様々なエネルギーを感知するだけに、人の本質を見ることで、相手が権力者であろうと何であろうと、その本質に対峙しようとする。ゆえに、普通の人では出せない結果を出すことが出来る。。。から、時に歴史を変えるような奇跡を起こす。

世間の潮流や、三次元的な損得や利己のジャッジメントや価値観、周囲で起きるアストラル(感情)や風潮レベルの多数派のエネルギーなどにも、まったく毒されない。ただ自分を生きていく、ゆえに危険を伴うことも、敵を作ることもあるけれど、結局はその神がかった自分軸で、大きな力を繰り出し現実世界に影響を与えていく。。。これぞ究極の自分軸。これが出来るということは、ハイヤーシステムとの(神智学的にいえば)『整列』が出来ていて、(カレッジ的に言えば)アンタカラナとメタフィジ筋のたまもの(笑)。常に自分がどうしたいか、は、揺るぐことが無い。

もちろん人であるから、嘆くことも恐れることもある。が、必ずスイッチが入り、「為すべきことを為す」・・・関わった人は、時間差でようやく何が起きたか、ヒロインが何をしようとしていたかを知り、自らの利己的な態度や生き様に愕然としたりする。こういった女神性の強い人は、本当にいらっしゃるなあと思っていた日の夜、つい先日ですが、なんとなくパチっとテレビを付けたらNHKでオードリーヘプバーンの番組をやっていて、「そう、この人も」と思いました。関係者の証言からも非凡さや卓越した精神性、佇まいや人への自然な配慮・優しさが、ほかの大女優たちとはまったく違っていたと。。

「人は この地上において どこまで聖性を生きられるか。」

実はこれは、若い頃から私が興味を持ち続けているテーマです。そして四十代半ばに差し掛かりもすれば、人生の本題に向かっていくという流れも自然と、やって来る。これからはきっと、このテーマを探求し続けていくだろうと思っています。研究、執筆を通じて。


今日はこのくらいで。アルガンザのサイトを手直ししています。また来年からの講座の予定などもそろそろ出て来そうです。また近日のうちに次の記事にて、お知らせします。

Love and Grace
Amari