このタイトル、内容で記事を書こうと思ってから、10日以上経ってしまいました。カレッジ5期の顔合わせ会当日の朝に、感じたことでした。気づけばもうその感覚が定着していて、改めて書こうとすると、思い出すように辿っていく作業になりますが、やはり大事なことと感じたので、シェアしたいと思います。
「ジェネシス」の本をまとめて、ジェネシスヒーリングのプラクティショナーセミナーを終えた4月前半以後、アンドロメダ由来の創造の天使(という説明がジェネシス流)=セラフィム の集団が、いつも上空に間近に居て、エネルギー的に半ば溶けているような日々でした。途中、前の記事にも書かせてもらったアシュタールさんのセッションがあり、アルクトゥルスの炎の点灯から、そのギンギンが落ちつくと、再びセラフに融けていく感覚。サンダルフォンのプラクティショナーコースもありましたから、尚更に。
普通ならば、ジェネシスのような大仕事を終えると、すぐにエネルギーシフトが始まってご褒美というか、労いの現実創造の新しい波が来るのですが、今回は本当にオオゴトだっただけに、いつものパターンには当てはまらずに、戸惑いながらも、セラフたちの崇高なエネルギーに包み込まれている安心感もどこかであり、とにかく読みとり方を間違わないように。。慎重に、冷静に流れや動きを読んでいると、少し前のブログに書いたような事になりました。
それでようやく、「お疲れさま〜」のいつもの新しい周波数の怒濤もやってきて安心していたところに、インスピレーションで、幾つかの石たちを自宅に迎えることになりました。「なりました」という中途半端な表現をするのは・・・・ここ2〜3年でしょうか、本当に、石に対しては「欲しい!」と感じることが無くて、かつて、情熱で買い求めていた日々からすると、今は幸せ過ぎるほどでしょうね・・「この石が来ることになっている」というサインが来て、それも何度かスルーしてみるのですが(やはりお客様に買ってもらった方がいいと思うので)、時にお尻を叩かれて、最終的にガイダンスを受け入れ迎え入れる、というのがいつものパターンとなっています。
「清水の舞台・・」と、よくうちの生徒さん、お客さんも仰るのですが、そんな感覚や言葉ももう、まったく頭を過ることさえなくなりました。それくらいリッチになった、という意味ではなくて(笑)、それくらい・・石との生活そして仕事が、エーテル化しているというか、ただ石が移動するような感じで、お金、という概念と結びつくことさえ無い、そんな感覚なのかもしれません。
石を迎え入れる必要がある時や、石とのご縁ある出会いは誰にでもあるものですが、かつての私は「きゃ〜っ」というアストラル反応、購入した石を見て日々幸せに浸る、などのアストラルな動機付けや楽しみがないと、「お金を出す」という行為に至らなかったのだろうし(まあ、それは普通の事なのですが/笑)、今はその必要がなくなったために、とてもドライかつ理性的、そしてどこか機械的というかシステマティックに、迎え入れているという不思議な境地です。
エネルギーのシフトが一段落したころ、アシュタールさんにお会いした直後に仕入に立ち寄っていた時に選んだスペイン産のフローライトを、やはり持ち帰ろうと思った日がありました。この大きなクラスターは、アシュタールさんに刺激されてアルクトゥルスの炎がライトボディに漲っていた状態で、引寄せられるように手にとったものでした。一緒に幾つかの仲間を仕入れて、それらは既にリュミエールでご紹介済みです。
自分は自分でシフトは完結しているのだけれど、自宅という空間や、自宅を巡る現実面に、私自身が受けとって、刺激されて、そして定着した「新しいもの」を、分け拡げるために、この石が必要だとキャッチして、鞄に入れて帰ったのでした。今月の始めころだったかな。
そして自分自身は、相変わらずセラフの高周波に包まれて満たされ、頭上高くに渦を巻くように群れている小さなセラフたちの群衆に、いつでも融けてしまうような感覚がずっと続いていました。
そして、迎えたカレッジ5期の顔合わせ会。
ジェネシスイヤーとなる今年、そして最後のカレッジとなる今年に、新たな神殿「アーク」によって再びシフトしたサロンの空気の中で、集うことになった5期の皆さんは、やはりジェネシスティック?(造語)な要素をお持ちなのだろうと思いますし、とにかく皆さんの気配、エネルギーがライトで、高次自然界、さらにはエレメンタル、コズミックソフィアなどの非物質界との繋がりが強い方々だろうと感じていました。
向かう途中の電車で、「では、自分も包み込まれているからやり易いし、アンドロセラフでアチューンメントしようかな」「メタトロンのアチュを4期では顔合わせ会でやっていたから、メタトロン&サンダルフォンの2本立てにしようかな」とか。考えていると、 もうキッカケは思い出せないのだけど、「違う!」と急に気づいて、結果、シリウス系、それもバリバリのシャンバラで、ピラミッドワークを受けて頂く事になりました。急だったので、星巫女のヴァージョンアップ瞑想から幾つかのワークを省いて、それでもじっくりと40分くらいの瞑想になりました。
最初からオオゴトでしたが(笑)、5期生の皆さんもワークに入り易かった、と仰って頂いて。なぜ皆さんにはシリウス、それもシャンバラなのか・・という理由も、瞑想の前にお話しさせて頂いていました。今日の話は、そこから繋がっています。その後、深めて、改めて整理したことになります。。それにより、ジェネシス以来、「契約満了で回線もオフになっている」と言っていたシャンバラが、当たり前のように自分の中心軸に戻り、そのまま、以前よりもリアルに頭上に広がっているセラフのエネルギーと、以前よりずっと濃く鮮明になっているアルクトゥリアンの感覚と、ごく自然にまとまって共存している、という新しい在り方にシフトが完了、そして既に定着しました。
ここまでが前置き。(笑)
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チャクラ・オーラの肉体、その生老病死のシステム
カルマシステムの存在 感情・思考・肉体で出来ているパーソナリティ
つまり、重たいこと、苦しみの元すべては、シリウス系マスターたちが作りました。レムリア時代に。
人類を苦しめたかった訳ではなく、進化サイクルを担当する立場として、この重たい時代、物質化の時代を迎えるために整えたシステムでした。中には、偶発的というか、運悪く作用した結果、出来てしまった苦しみのシステムもありますが。。今、人間である私たちが重く、不便で、病気やカルマや世の中の理不尽さ、二元性に悩まされ、自分自身に葛藤しながら生きていることの仕組みは、そこで作られているのです。
が、私たちを上に引き上げようとしているのも、人類が進化してくるのを待ち受けているのも、シリウスマスター界、つまりシャンバラです。
自分が、もともとのソースとはいえ、これまでに無いくらいにセラフたちの世界に融けて過ごしていると、もう本当に意識の中がからっぽ、無になって、純白になって、何でも許せるし、どんなものでも受け入れられるような心境になるのを感じます。もちろん現実生活があるので、それを傍で客観的に感じて、制御する自分が居るような状態。その純白セラフ気分の日々、想ったのは、「ああ、これではビジネスとか、子育てとか、無理だなあ」ということ。
余りにも軽やか過ぎる。現実を物体として顕現させるこの世界での「人間」である自分の運営、関わる人や出来事への責任を果たすことが、出来ないくらいに「純白」過ぎるのです。何も計画できないし、因果の法則にさえ(←重たいので)向かない。ずっと眠ったような意識で(シーター波とかになるのかも)ただ幸福と愛で満たされるという感じ。
たとえば専業主婦で、でも子供が居ない、あるいは既に巣立っていて、責任を負うべき自分が育てている対象がいない・・・ような状況だったら、あるいは独り身で、ただ一人で淡々と生きているような生活だったら、 その純白セラフ状態は、本当に幸せなことです。すべてを愛せてしまうし、すべてをただ愛していたらいい、という日々であれば。
けれど、よほど例外的な生活をしている人じゃない限りは、私たちは色々な責任を背負っています。子供を持つお母さんたちは、切実なことです。一家を養うお父さんも。その両方をやっているシングル親はもちろんのこと!(笑)
さらに感じたのは、例えば安定した会社員で、子供もいない独身で、周りで関わる人々を愛して幸せを願いながら生きているような生活であれば、自分の受け持つ仕事だけを日々こなしている世界であれば、セラフの境地も良さそうです。その現実には、合いそうですね。
「ただ愛する」こと・・・は、とてもシンプルで、そうして生きていけるなら、幸せ。・・・でも世の中の色々がありますから、よほどに自分のシステムと、現実創造の仕組みをマスターした上でないと、そんな無防備な愛のエナジーは損なわれてしまう。でもそれらが整ってさえいれば、本当に、天使の境地でただ愛して、生きることって出来るよなあと、実感していました。今の自分ならばそれが出来そう。と思いますが、きっとそれでは「責任を果たせない」「結果を残せない」。「責任」も「結果」も、因果の法則による「重たい」質量なのですから。
この物質世界で、時間が存在し、方向性、未来への流れが常に動いている世界で、その方向付けを行なう必要があるものを、育てていかねばならない人、子を持つお母さん、自営業や自由業で生きている人・・・は、「育っていくもの」に対して、自分が面倒を見る、導く、その行く末を見守る、結果を自分が受けとめる、という役目を持っている。精霊のように、静かで高周波の世界で生きていたい人は、親にならず、生涯独身か、凄く気の合う伴侶とともに、安全な環境の中で安定した生活をキープするのがおすすめです。老いた親の面倒は見なくて良い状況で、収入は家賃収入、とかね。
ですが、どうなのでしょう。それでこの物理次元に、カルマやDNAに縛られ、感情ゆえに葛藤する自分を送り出した意味があるのでしょうか。
こういう話はよくあるけれど、たぶん、ここから先のベクトルが、普通の話とは違う、 Amari 流・ Amari 節になると想います。
「だから、人間であることを楽しむの!」といって、エゴの世界に戻っていく、そういう話とは180度違うことを今、言おうとしています。分かり易いかと想うので、私自身のこととして語っていきますね
セラフの周波数、アルクトゥルスの感性、それらのエネルギー・・・自分の根源からくるものを、地上に運び込むために、自分がアンカーしなくてはいけないし、現実創造しなくてはいけないし、実際にそうしたいし、そういうことになっている。だからこそ、ニンゲンをやっていて、ハイラーキーがプログラムしている原生人類という不便な中に、受肉している訳です。これは本当はみんな同じで、どの魂もそうなのです。宇宙への道はひとつ。
「みんなそれぞれ」「人は人」これも、三次元のエゴの声に降りていく時の決まり文句ですが、本当は、「みんな同じ」なのです。大きな「同じ」の中に、小さな「それぞれ」がある。三次元の人間レベルでは「個性で生きる」これは本当に大事。私は10〜20代にそれをテーマにしていました。今では当然の現実の一部となっています。「周りに左右されず自分を生きる」ことは当たり前。そこで葛藤は発生しなくなって既に久しい。それとは別のレベルで、さらに奥深くに進むと「みんな同じ」が横たわっている。
高い目的はたったひとつ。ずっと変らない。
それを貫くために、低いところでは様々な変化が必要。
個人の人生においても言えることだし、日々の生き方においても言えること。
深いところ、高いところで、もの凄く一貫していて、絶対にブレない人ほど、
日常レベルでは、そのたったひとつの軸を守り抜くために、様々な変化を起こすことで、現実創造の中に自分の魂のエネルギーを注ぎ込んでいく。
星巫女でやったビジネス論。ワンネス的な思想をもった起業も同じ。
「絶対に譲れないもの」を持っている会社が、良い存在感を社会に示し、また貢献するし、愛されて繁栄する。その「譲れないもの」を貫くために、たくさんのマイナーチェンジや試行錯誤を、繰り返していくものでしょう。
現実創造と言うけれど、
サラリーで生きていたら、それは始まらないのです。私はやはり、女性でも男性でも、自営業・自由業で頑張る人を応援したい。もちろん自分もずっと、その立場でいくつもり。こういう生活に切り替わったからこそ、五次元の現実創造が始まった訳です。まずはそこから・・・です。お金どうこうではなく、自分を生かすために物質的な要素が必要なこの世界で、それを生み出して生きていくことが、それ自体が自分という魂の具現であるという現実を叶えていくためには、「生きていくための生活の糧、仕事」と、「大事にしたい世界」が、切り離されていては始まらないのです。
以前からも言ってきましたが。本当に、ぜひ、メタフィジを活かして魂として生きていきたいと願う人は、まずは勇気を出して、自営業あるいは自由業の立場になってください。話はそこから始まります。スタートラインです。そのために努力や、日々の研鑽が必要?もちろんです。やって下さい。ただやっていくだけです。
それでこそ、ライトワークがこの世界で生きてくる。
自分という存在が、世界に生きることになるのです。
Sence of Being Alive 「生命感」
セラフたちに融ける時間は至福ですが、人間である以上、生みの親であるシリウスの知恵が必要です。
その知恵があるからこそ、この難しい世界で、現実創造をしていける。
つまり、自分という存在を生かすことが出来るわけです。
シリウスで出来ている私たちの肉体、チャクラシステム、ライトボディ、カルマ、転生システム
そして惜しみなくという訳ではなく、ほどよく与えられてきた、シリウスからの叡智。
それがあるからこそ、スピリットのアルクトゥルスも、モナドのアンドロメダも、受肉できるのです。
Being Alive!
そんなシリウスの知恵が、物質界に在る私たちが三次元のカオスにまみれずに生きていくためのツールとして、あるいはイニシエーションとして、授けられたものが、レイキなどのエナジーワーク。プラーナの栄養システム。それで日々、健全な自分をキープしながら、この世界で、自分が選んだこの世界で、創造をしていく。
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おおっっ 一気に書いてしまった。(我に返りました。笑)
さてさて
顔合わせ会から一週間が過ぎた日曜日、カレッジ5期が日曜クラスからスタート。
皆さんがお帰りになった後、空が奇麗でした。
スマホ写真ですが・・・
新緑が奇麗な季節。犬の散歩で近所の畑や森に見とれています。
これらもスマホ写真で・・
この素晴らしい景色を、空を、花を・・
そして石たちを、ちゃんとしたカメラで撮りたい〜〜〜の内なる声に我慢できなくなっていて、ちょっとしたストレスでした(笑)
サロンとショップに、2台のカメラを置いているので、しばらくプライベートタイムの写真はスマホのみで。
苦しい・・・
もう、(スマホで)我慢するのはやめよう。
この、素晴らしい森の緑に吸い込まれそうになった或る日、そう想ったのでした。
そして。。。。
我家に久しぶりに、カメラが。。。
14年前にネットショップを始めてから、デジカメは何代目になるかな。。
時代も変わり、すっかり便利になりましたね デジカメまでタッチセンサーとは。。
久しぶりのキャノン。EOS です。ミラーレス一眼。
なのでこれからは、ブログにも色々な風景や、自宅の石たちを載せられるかな〜。
家にちゃんとしたカメラが居ることが、こんなに嬉しいなんて。笑
今日のトップのフローライトだけ、この EOSで写したものです
今日のトップのフローライトだけ、この EOSで写したものです
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夏のセールイベント、星巫女クラスの募集などは、前記事、前々記事などを覗いてください。
リュミエール、本日アップしています。次のアップで、ウラルレムリアンのイシスDTを載せたいと想います。
これはオマケ↓
https://youtu.be/vC-6TYlMnlo?t=3m22s
いつもありがとうございます。
Love and Grace,
Amari